カポエイラ
カポエイラとは?
カポエイラは楽器演奏・歌・手拍子の
中で行われるブラジル発祥の格闘技です。
輪の中で演奏される音楽に乗りながら、
足技や アクロバットを中心に相手と
駆け引きをします。
音楽と武術と舞踊が融合した、
世界でも稀に見るアフロ・ブラジル文化であり、今日ではブラジルは勿論のこと世界中で老若男女問わず楽しまれているスポーツでもあります。
楽しみながら強くなり、表現力が付き、そして結果的に、、、、、、
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ダイエットができたり、
筋肉がついたり、
いわゆる「良い体」に なる
ことも。
 アバダ・カポエイラ リオでの練習指導者湖太郎が武者修行してきたリオ郊外Vaz Loboの道場。 |
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 アバダ・カポエイラ コンディション作り兄弟弟子と道場にて大会前のコンディション作り。 |
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 アバダ・カポエイラ ファベーラレッスンリオ郊外Irajá地区のファベーラAmarelinhoにて、出張レッスンをしにいきました。 |
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 アバダ・カポエイラ54カ国参加世界大会。2017年アバダカポエイラ世界大会、緑-緑紫帯viola(軽量級)の部予選。São Bento Grande。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 練習怪我で見学の時も道着を着ます。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 怪我は絶えない郊外のストリートホーダで怪我しました。やっぱり郊外のカポエイラは荒い。郊外に住めて幸せ。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 コンディション作りリオ郊外Vaz Loboにて兄弟弟子のAlanと土曜日朝の練習。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 リオ本部道場の門アバダ・カポエイラ、リオの本部道場の門。毎日のように目にした景色。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 コンディション作り兄弟弟子Alanの代名詞。地道な努力。いつもの土曜日の光景。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 ファベーラリオ郊外Vaz Lobo道場のベランダから見たファベーラ。ほぼ毎日この景色を見ながら練習していた。Favela da Fazenda。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 ファベーラ兄弟弟子のBambaのファベーラでのボランティアレッスンをお手伝いに時々行きました。みんな会うと抱きついてきてくれる。
リオ郊外のファベーラMorro da Fé. |
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 アバダ・カポエイラ 2013年日本大会2013年名古屋開催のアバダ・カポエイラ日本大会(日本、韓国、オーストラリアから続々と参加)。 |
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 アバダ・カポエイラ 2013年日本大会2013年アバダ・カポエイラに本大会。メダルを取った人達。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 ベリンバウの弦ベリンバウを弾く人なら写真の意味が分かるはず。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 ベリンバウ作りブラジルで友達の家に行ったらベリンバウに使える木をもらったので早速ベリンバウ製作。 |
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 アバダ・カポエイラ韓国2014年バチザード韓国の中間達が初の昇段式を実現しました。おめでとうEspantalho & Melancia。 |
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 アバダ・カポエイラ沖縄岐阜からアバダの仲間が来てくれました。
豊見城の公園で楽器練習。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 コルコバード キリスト像リオデジャネイロの代名詞のコルコバード(キリスト像)。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 ファベーラ昔住んでたファベーラに遊びに行きました。これが朝の「幸せの光景」。パン、コーヒー、マーガリン |
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 アバダ・カポエイラ東京 2013年リオ昇段式2013年リオでの昇段式。青から緑に飛び級しました。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 リオの兄弟弟子たちリオ郊外Vista Alegre地区のG.R.A.G.(グラーギ=旧道場)にて。
皆同じ師の元で切磋琢磨してきた兄弟弟子たち。 |
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 アバダ・カポエイラ東京 2013年リオ昇段式2013年リオにて昇段。
左からMiúdo(Bento Ribeiro), Choque(日本), Bamba(Penha), Carneiro(Jacarezinho) |
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 アバダ・カポエイラ東京 2013年リオ昇段式jogo de benguela |
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 アバダ・カポエイラ東京 2013年リオ昇段式師匠のMóbiliaは真ん中に、他は緑帯を取った仲間たちと記念撮影。 |
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カポエイラの歴史はブラジルがまだポルトガルの植民地であった16世紀に遡ります。 当時、ポルトガルは未開の地ブラジル(当時の名前はテーハ・ヂ・サンタ・クルース)の植民化の労働力として、アフリカの様々な地域から様々な部族の黒人を奴隷として連れて行きました。奴隷たちは現在のアンゴラ、モザンビーク、ベナン沿岸などから船で連れて行かれました。
当時のブラジル北東部ではサトウキビ農園で多くの黒人奴隷が労働にあたり、ブラジル植民化の末端として酷使されていました。その労働の過酷さ、そして支配者からの強烈な迫害が故に過労や病気、時には処刑で命を落とす者が後を絶えませんでした。
そんな支配下で、奴隷達はそれぞれの故郷の土着の格闘技を元に、戦うための術を密かに発展させていきました。アフリカの格闘技が遥か遠いブラジルの地で融合し、自然発生的に出来たのがカポエイラの発祥とされています。
彼らが持っていたその「術」は支配者達にとって一つの大きな脅威であったため、彼らはそれに楽器の演奏と歌を織り混ぜる事でカモフラージュをしました。それにより支配者からの目を逃れ、あくまで「踊り」「遊び」という名目でそれを継続していったのです。
カポエイラが具体的にいつ誕生したかについては未だ解明されていませんが、奴隷制時代以降もカポエイラは迫害に遭い、常に大きな権力とそれに対抗するカポエイラという形でその独特の精神的基盤も出来上がってきました。現代のブラジルでも、権利を得るために闘うアフリカ系ブラジル人の闘争の象徴としてカポエイラは取り扱われています。
カポエイラの起源
カポエイラの起源は明らかにされておらず、今日においても研究者達の間で様々な研究や議論がなされています。その諸説の中で最も 有力とされているもののひとつをご紹介します。
尚、手枷をつけられていたから足技が多いという説は最近の研究で信憑性が低いと言われています。